築地病院(つきじびょういん,Tsukiji Hospital)は、1875年明治8年)5月22日に、東京府築地に開院した、キリスト教系(スコットランド一致長老教会)の病院である。正式には健康社と呼ばれた。また、1896年(明治29年)6月13日に「愛恵病院」[注釈 1]が築地居留地37番に移転・改称して開設されたキリスト教系(聖公会)の病院も「築地病院」(英語名:St. Luke's Hospital)という名称で、こちらの病院は聖路加国際病院の前身である[1]

歴史

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築地病院(健康社)の歴史

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ロバート・デイヴィッドスン宣教師の日本語教師で後に日本基督教会の牧師として活躍した三浦徹の南小田原町3丁目の持ち家で開業し、翌年南小田原町4丁目に移転した。施療棟と入院棟を持ち、医学生の養成も行う、当時最新の西洋医学の病院であった。スコットランド一致長老教会海外伝道局は、開業にあたり600ポンドを出資した、キリスト教系の病院である。ミッションの宣教目的のために医療費は無料だったので、民間には大盛況で年間の来院者は14000人ほどになった。

イギリス・スコットランド一致長老教会の医療宣教師ヘンリー・フォールズが医師として就任した。フォールズは外科医、眼科医として活躍した。フォールズはグラスゴー医科大学の防腐処理術やコレラの治療などを導入した。外国人薬剤師や日本人助手櫛部漸(東京公会会員)などを雇った。後に、櫛部漸は京橋区桶町で開業医になる。また、フォールズは築地でエドワード・モース大森貝塚発掘に協力する中で、土器に残された指紋に興味を持ち、指紋捜査法を発見している。

フォールズは夫人が病気となったことから1886年(明治19年)に離日し[2]、その後病院は次第に荒廃した。 1888年(明治21年)5月7日には、工手学校(現・工学院大学)が、南小田原町4丁目7,8番地にあった築地病院の建物と敷地を購入して、新たに教室を増築して同年9月7日に移転した[3][4]。その後、工手学校は1923年(大正12年)9月の関東大震災によって校舎が全焼し、同年11月に淀橋町(現在の新宿区)にあった日本中学校を仮校舎として築地から移転した[3]

近年までルドルフ・トイスラーが、この病院の建物を買い取り、聖路加病院を設立したとされてきたが、この築地病院(健康社)の建物と敷地は上述の通り、工手学校が購入して学校を開設していることに加え、トイスラーが設立した聖路加病院は後述の愛恵病院の流れを汲む聖公会系の築地病院(英語名:St. Luke's Hospital)を前身とする病院であり[1]スコットランド一致長老教会系の築地病院(健康社)とは別の病院と考えられる。

築地病院(愛恵病院の後身)の歴史

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米国聖公会宣教医、フランク・W・ハレルが1884年(明治17年)3月に来日し、深川聖三一教会近くに「大橋診療所」を開設する[5]。ハレルが辞任した後、1890年(明治23年)11月1日にチャニング・ウィリアムズの要請により医師で聖公会信徒の長田重雄が京橋区船松町13番地に「愛恵病院」(英語名:Tokyo Dispensary)を開設して院長となった[1]

1896年(明治29年)6月13日に愛恵病院が築地居留地37番に移転し、「築地病院」(英語名:St. Luke's Hospital)と改称される。1899年(明治32年)秋には、築地病院が閉鎖。長田院長が辞任する[1]

1900年(明治33年)2月2日に、チャニング・ウィリアムズの後任であるジョン・マキム米国聖公会本部への要請が実り、ルドルフ・トイスラーが夫妻で来日。1901年(明治34年)1月後半にはトイスラーが佃島に聖アンデレ診療所を開設。1901年(明治34年)2月12日に、トイスラーが旧築地居留地37番(築地病院跡地)に築地病院を前身とする「聖路加病院」(現在の聖路加国際病院)(英語名:St. Luke's Hospital)を開設[1]。開設された聖路加病院の英語名は、築地病院と同じ「St. Luke's Hospital」であり、閉鎖されていた聖公会系の築地病院の再建でもあった[1]

その他

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東京公会の長老で後に牧師になった奥野昌綱が入院中に、『やまいの床にも』と題する讃美歌を作った。それが後に讃美歌397番になった。

参考文献

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  • 中島耕二; 辻直人; 大西晴樹『長老・改革教会来日宣教師事典』新教出版社〈日本キリスト教史双書〉、2003年。ISBN 4-400-22740-5 

脚注

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注釈

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  1. ^ 愛恵病院は1890年(明治23年)11月1日にチャニング・ウィリアムズの要請により医師で聖公会信徒の長田重雄が京橋区船松町13番地に「愛恵病院」(英語名:Tokyo Dispensary)を開設して院長となった病院である。

出典

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