篠崎 太一(しのざき たいち、1881年明治14年〉4月1日[1] - 1960年昭和35年〉8月22日[2])は、明治から昭和時代の政治家神奈川県高座郡田名村長、相模原町長。

経歴 編集

相模原に生まれる[1]。1903年(明治36年)神奈川県師範学校卒業後、高座郡明治小学校同郡上溝小学校訓導を経て、1912年(大正元年)同郡尋常高等大和小学校校長となる[1]。1916年(大正5年)同郡座間小学校校長、1918年(大正7年)同郡上溝小学校校長を経て、1928年(昭和3年)高座郡田名村役場吏員となり、収入役助役、村長を歴任した[3]。1941年(昭和16年)町村合併により相模原町が成立するとその村長に選任され、1946年(昭和21年)10月まで在任した[2]。その後、相模原町教育委員長として教育振興に尽力した[2][4]

脚注 編集

参考文献 編集