細川 全隆(ほそかわ またたか)は、戦国時代武将細川阿波守護家出身。

 
細川全隆
時代 戦国時代安土桃山時代江戸時代
生誕 不明
死没 不明(寛永15年(1638年6月21日以降)
別名 紹高(号)
幕府 室町幕府江戸幕府
氏族 細川阿波守護家
父母 父:細川元定
瑞益、称揚寺室、坂上池院宗説室
養子:元隆(坂上池院宗説の子)
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概要

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豊臣秀吉の命で父の称した「紹高」の号を名乗った。天正16年(1588年)には豊臣秀次に仕え、後に秀吉に仕えた。

文禄元年(1592年)の文禄の役の際には肥前国名護屋城に出陣し、初めて徳川家康に見えた。

慶長13年(1609年)には山城国愛宕郡に旧地40石を安堵され、翌年には徳川秀忠に仕えさらに扶持米を毎月300俵・月俸15口を加えられた。

万治元年(1658年)6月24日に致死した。

子孫は医師として江戸幕府に仕えた[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『寛政重修諸家譜[1]