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羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 - 没年不明)は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は武石助松。秋田県北秋田郡森吉町(現北秋田市)出身。身長167cm、体重90kg。最高位は西十両筆頭。

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経歴編集

1921年1月初土俵、1928年1月十両昇進。十両では負け越したり休場したりと幕下に何度も落ちたりしたが、1931年1月に4回目の十両昇進で東十両7枚目に付いてから定着し、5月に西十両筆頭まで躍進した。この場所と翌10月場所で勝ち越し、次の場所での新入幕が確実とみられたが、1932年1月場所の新番付では入幕どころか1枚下の西十両2枚目にされた。番付発表当日に起きた春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(番付上は削除、実質的最終場所は1931年10月)し、天竜三郎率いる新興力士団に加わった。その後、関西角力協会で活動し、同協会解散後は大日本相撲協会に復帰しなかった。

死亡した時期は不明だが、春秋園事件で行動を共にした天竜が1955年に書いた「相撲風雲録」(池田書店)では既に故人になっていた[1]

成績編集

  • 十両10場所48勝50敗12休
  • 通算15場所53勝51敗12休
  • 幕下優勝1回

改名編集

羽後響介松→羽後響助枩 [2]

出典編集

  1. ^ 『相撲風雲録』279頁。
  2. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=4662&l=j

関連項目編集