肥後柔術三道場(ひごじゅうじゅつさんどうじょう)とは、明治初期に熊本に存在した柔術道場のうち、江戸時代から続く規模の大きかった3道場を指す。これら3道場の道場主はいずれも旧熊本藩の柔術師範であった。

明治42年(1909年)頃、道場の維持が困難であることから、3道場で協議の結果、3道場同時の閉鎖を考えるが、門弟らの反対により、閉鎖されなかった。

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