脇坂安実
脇坂 安実(わきさか やすざね)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩6代藩主。龍野藩脇坂家8代。官位は従五位下伊勢守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享2年6月3日(1745年7月2日) |
死没 | 宝暦9年7月21日(1759年8月13日) |
改名 | 富次郎(幼名)、安実 |
戒名 | 良孝院殿 |
墓所 |
京都府京都市右京区花園の妙心寺隣花院 東京都中野区上高田の青原寺 |
官位 | 従五位下伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重 |
藩 | 播磨龍野藩主 |
氏族 | 脇坂氏 |
父母 |
脇坂安興、小堀次郎兵衛娘 脇坂安弘 |
兄弟 |
宝勝院、安弘、安実、竹腰勝起正室、 片桐貞芳正室、斉藤三益継室 |
子 | 安親 |
略歴
編集延享2年(1745年)6月3日、4代藩主・脇坂安興の次男として誕生。
5代藩主で異母兄・安弘に嗣子が無かったために養子となり、宝暦7年(1757年)に安弘が死去すると家督を継いだ。12月に従五位下・伊勢守に叙位・任官する。