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若尾元昌(わかお もとまさ/げんしょう、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、美濃国根本城城主。子に元美がいる。

若尾氏は甲斐若尾村の出身で、甲斐武田氏の一族である。武田氏の東濃侵略にともない、根本砦を築いた。武田家滅亡信長の死を経て、森長可に従った。また、根本砦の麓に天正12年(1584年)、元昌寺を建立した。しかし、同年の小牧・長久手の戦いで子の元美を失い、刀を捨て帰農した。その後元昌は、森長可の嫡男である森玄蕃を保護したとされ、玄蕃は元和5年(1619年)に、42歳で亡くなっている。[1]

嫡男の元美は、父元昌が森長可の傘下に入ると、その家臣として活躍した。天正12年(1584年)小牧長久手の戦いが勃発すると、森長可に従い従軍し、奮闘するも討ち死にした。[2]

脚注編集

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  1. ^ 渡辺富雄ら. 根本をたずねて. [要文献特定詳細情報]
  2. ^ 尾州羽黒合戦「元美戦死」. [要文献特定詳細情報]