荘公(そうこう、? - 紀元前778年)は、秦の襄公の父で秦仲の子。
秦仲の長子として生まれる。
秦仲23年(前822年)、秦仲が西戎[1]討伐で戦死すると、その後を継いで当主となった。
周の宣王は荘公ら秦仲の息子5人を召し出し、兵7千を与えてふたたび西戎討伐にあたらせた。荘公らは西戎を見事破ったため、宣王から父の旧封と大駱[2]が領有していた犬丘[3]の地を与えられ、西垂の大夫となった。
荘公は犬丘に拠ると3人の子をもうけた。
荘公44年(前778年)、荘公が卒去すると、次男の襄公が立って秦の当主となった。