莫 栄新(ばく えいしん)は清末民初の軍人。旧桂系(旧広西派)の軍人。日初

莫栄新
プロフィール
出生: 1853年10月20日
咸豊3年9月18日)
死去: 1930年民国19年)3月30日
中華民国の旗 中華民国広西省桂平県
出身地: 広西省潯州府桂平県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 莫榮新
簡体字 莫荣新
拼音 Mò Róngxīn
和名表記: ばく えいしん
発音転記: モー ロンシン
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事跡 編集

幼い頃は学問に励んだが、成長するにつれ農民や雑貨店の店員に転じている。1871年同治10年)に軍隊に加入して、広西の巡防営において次第に昇進する。1909年宣統元年)に広西巡防営幇統となり、梧州に駐屯した。1911年(宣統3年)6月、陸栄廷が広西提督に昇進すると、莫栄新は巡防栄督帯に昇進した。辛亥革命勃発後、莫は慶遠府長に任じられている。

1912年民国元年)5月、莫栄新は、陸栄廷から梧州府長兼梧州関監督に任命される。それからまもなく、広西中区第1正司令に任命された。1914年(民国3年)、広西陸軍第1師第2旅旅長兼蒼梧道道尹に任命される。1915年(民国4年)9月、桂平鎮守使に任命され、同年12月、袁世凱が皇帝に即位すると二等男爵に封じられた。1916年(民国5年)、陸が護国戦争第三革命)に呼応し、5月に肇慶で護国軍両広都司令部が成立すると、莫は護国軍第3師師長兼肇慶衛戍司令に任命されている。

袁世凱死後の同年10月、莫栄新は広恵鎮守使を兼任し、12月には広東第2混成旅旅長に異動した。1917年(民国6年)11月、広東督軍に任命されている。1918年(民国7年)8月、陸栄廷らが主導権を握った改組後の広州軍政府において、莫は陸軍部長を兼任した。1920年(民国9年)10月、孫文を支持する陳炯明に敗北すると、莫は下野して上海に逃げ込み、高崇民という偽名で潜伏した。1928年(民国17年)秋、故郷の桂平に引退している。

1930年(民国19年)3月30日、桂平にて病没。享年78(満76歳)。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
李耀漢
広東督軍
1917年11月 - 1920年10月
(1918年9月まで李耀漢署理)
次代
陳炯明(粤軍総司令)
 中華民国軍政府
先代
許崇智
陸軍部長
1918年7月 - 1920年10月
次代
陳炯明