菊池 義郎(きくち ぎろう、1877年明治10年〉2月10日[1] - 1944年昭和19年〉9月22日[2])は、日本外交官。駐チェコスロバキア公使菊池侃二の子。

菊池義郎

経歴 編集

大阪府衆議院議員大阪府知事菊池侃二の長男として生まれる[3]1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[3]。領事官補、大使館三等書記官、領事としてドイツオーストリアロシアに在勤した[3]1917年大正6年)、ウラジオストク総領事となり、浦塩派遣軍政務部長を兼ねた[3]1923年(大正12年)、大使館参事官となり、翌年からは駐チェコスロバキア公使を務め、1927年(昭和2年)まで在任した[3]

家族 編集

[4]

脚注 編集

  1. ^ 人事興信録 第5版 1918.
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、220頁。
  3. ^ a b c d e 人事興信録 第8版 1928.
  4. ^ 菊池義郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。