華道遠州 (かどうえんしゅう)はいけばなの流派。宗家は芦田一寿。平成5年(1993年)に遠州(旧正風遠州流)の宗家である父芦田一馬より息子の一寿が独立して興した流派である。

華道遠州による桜の古典生花
華道遠州独特の柔らかい曲線、握り撓めや楔撓めなどを駆使して枯れないまま太い枝を曲げている。江戸時代からの伝統的なテクニックで桜が生けられている。

遠州流は小堀政一(遠州)を流祖とし、江戸中期に花人・春秋軒一葉がその花型の基礎を作る。やがて本家とも言える三大遠州流が貞松斎一馬、春草庵一枝、本松斎一得らによりそれぞれ正風遠州流、日本橋遠州流、浅草遠州流として興る。それまでの「わび・さび(詫び寂び)」という美意識に留まらず、人為的に計算された美、均整のとれた美を加味して「綺麗さび」とよばれる小堀遠州の美意識をそのまま花の姿に表現すると言われている。

江戸の中・後期にとくに流行した流派で、それまでの「投入花」「立華」形式よりさらに生ける作家の芸術性や創作性が加味されて独特の曲、技巧を花や枝に加え形に当てはめていくという花型が特徴。それまで武家社会や公家社会だけのものであったいけばなを、広く庶民にまで流行させた。とくに江戸後期になると全国で遠州流と名のつく流派が多数発生した。それでも江戸の武家社会の嗜みとして遠州のいけばなは愛され、今でも日本全国の城下町に引き継がれている地域が多い。

版画技術により花体の図が広く全国に普及し、またそれらの一部が海外にも渡ったこともあり、西洋のフラワーアレンジにもこの流派の曲線(ラインアレンジ)が影響を及ぼしたとも言われている。19世紀末に西洋で隆盛を得たジャポネスクブームとともに紹介された日本のいけばな「華道」の花姿はほとんどが遠州流の花の図であった。鹿鳴館などの建築で有名な明治初頭の西洋近代建築を日本にもたらしたイギリス人、ジョサイア・コンドル(ジョサイア・コンダー)Josaih Conderが自国に紹介した日本のいけばなの書物、The Floral Art of Japan に解説されているいけばな理念、精神、花形、などはそのほとんどが遠州流から引用されている。天地人の三才を花の規矩とし、くさび撓め(ひき撓め)など高度な技術を多用して枝を曲げ、富士山を表現したり、川の流れ、滝などを表現するなど、曲生けとよばれる姿が特徴である。芸術家・北大路魯山人が遠州の花を贔屓していたことも有名。

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