蓮福寺 (松山市)

愛媛県松山市にある浄土真宗本願寺派の寺院

蓮福寺(れんぷくじ)は、愛媛県松山市にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は信縁山。本尊は阿弥陀如来水野廣徳の菩提寺。山岡三子の実家。

蓮福寺
所在地 愛媛県松山市柳井町3-6-3
位置 北緯33度50分05.7秒 東経132度45分57.4秒 / 北緯33.834917度 東経132.765944度 / 33.834917; 132.765944座標: 北緯33度50分05.7秒 東経132度45分57.4秒 / 北緯33.834917度 東経132.765944度 / 33.834917; 132.765944
山号 信縁山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 安永8年(1779年
開基 慶随
正式名 浄土真宗本願寺派信縁山蓮福寺
法人番号 5500005000527 ウィキデータを編集
蓮福寺 (松山市)の位置(松山市内)
蓮福寺 (松山市)
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由緒 編集

伊予松山藩松平家に関わりのある寺。その前身は遠州掛川の真如寺である。慶長8年11月、その春征夷大将軍に任ぜられた家康がお礼言上のため上洛の途次掛川城に入ることになっていた。城主定吉定勝の嫡子であるが、その日家康の不興をかって叱られ、家老のいさめを聞くことなく、家康の入城を前に19歳の若さで自刃、家康が入城したころ城内の騒ぎはおさまっていた。定吉自刃の前に付げ家老久松対馬守は割腹しており、近習の者20余名も追い腹を切って殉死した。もう一人の部屋家老加藤信宗(犬山城主加藤清信の孫、加藤清正の甥)は、剃髪して唯宗といい、定吉の遺言により主君と殉死の家来の菩提を弔った。翌9年東本願寺の末寺となり、開祖教如の寿像を賜った。3世慶円代の元和3年には定勝に従い桑名へ、4世慶順は定行の松山入部に従い、1638年寛永15年)城の北麓杉谷に蓮福寺を建立、寛文8年火災による焼失後現在地に移り、8世慶随代の1779年安永8年)西本願寺末になったという[1]

境内 編集

同寺は水野家の菩提寺であり、境内墓地には水野廣徳の墓がある[2]

脚注 編集

  1. ^ 諸宗の動向愛媛県史 学問・宗教(昭和60年3月31日発行) 愛媛県生涯学習センター
  2. ^ 水野広徳 66回忌追悼法要水野広徳ミュージアム

関連項目 編集