薛 綬(せつ じゅ、1417年 - 1449年)は、明代軍人。もとの名は寿童。本貫順天府昌平州モンゴルの出身。

生涯編集

薛斌の子として生まれた。1421年永楽19年)に父が死去したとき、寿童はわずか5歳であった。1424年(永楽22年)8月、叔父の薛貴の引き合わせで洪熙帝の謁見を受け、永順伯の爵位を嗣ぎ、綬の名を賜った。成長すると、驍勇で戦いを得意とした。1449年正統14年)8月、成国公朱勇らとともに鷂児嶺でオイラト兵に遭遇した。戦い敗れて、弓弦が断たれて矢も尽きたが、なおも空弓を持って敵を打撃していた。オイラト兵は怒って、薛綬を殺し、遺体を切断した。享年は33。

薛綬がもとはモンゴル人だったと知ると、オイラト兵たちは「これわが同類なり。勇健なることかくのごとくあるべし」といって泣き悲しんだ。は武毅といった。

子の薛輔が永順伯の爵位を嗣いだ。

参考文献編集

  • 明史』巻156 列伝第44