薛綬
生涯 編集
薛斌の子として生まれた。1421年(永楽19年)に父が死去したとき、寿童はわずか5歳であった。1424年(永楽22年)8月、叔父の薛貴の引き合わせで洪熙帝の謁見を受け、永順伯の爵位を嗣ぎ、綬の名を賜った。成長すると、驍勇で戦いを得意とした。1449年(正統14年)8月、成国公朱勇らとともに鷂児嶺でオイラト兵に遭遇した。戦い敗れて、弓弦が断たれて矢も尽きたが、なおも空弓を持って敵を打撃していた。オイラト兵は怒って、薛綬を殺し、遺体を切断した。享年は33。
薛綬がもとはモンゴル人だったと知ると、オイラト兵たちは「これわが同類なり。勇健なることかくのごとくあるべし」といって泣き悲しんだ。諡は武毅といった。
子の薛輔が永順伯の爵位を嗣いだ。
参考文献 編集
- 『明史』巻156 列伝第44