藤田宗兵衛
藤田 宗兵衛(ふじた そうべえ、安永9年(1780年) - 天保14年3月5日(1843年4月4日))は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]。
経歴・人物
編集近江甲賀郡宇田村(現:滋賀県甲賀市水口町宇田)の庄屋[1][3]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を、弟の宗三郎とともに指導した[1][3][2]。検地は阻止されたが、宗兵衛は同志の土川平兵衛らと共に捕えられ[1][3]、宗三郎は先に大津で獄死し[2]、宗兵衛はのち江戸へ護送中に石部宿で病死した[1][2][3]。享年64。