蘆名盛信

室町時代中期の武将。蘆名氏11代。修理大夫、下総守。

蘆名 盛信(あしな もりのぶ、応永15年(1408年) - 宝徳3年3月18日1451年4月19日))は、室町時代中期の武将蘆名氏の第11代当主。通称は小次郎。官位は修理大夫下総など。第9代当主・蘆名盛政の子。

 
蘆名盛信
時代 室町時代
生誕 応永15年(1408年
死没 宝徳3年3月18日1451年4月19日
別名 小次郎
官位 修理大夫下総
氏族 蘆名氏
父母 父:蘆名盛政
兄弟 盛久盛信金上盛興
正室三浦高明の娘とも
盛詮、女子(中村宗長[1]
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文安元年(1444年)に死去した兄から家督を譲られ、当主となった。兄と同様、在世時の動静は不明な点が多い。永享12年(1440年)6月、篠川御所足利満直を奥州の諸豪族が襲撃し、自害に追い込むという事件が発生しており、盛信もこれに追随した。領主としては漆樹の栽培を奨励しており、(1449年)には金山漆ろうそくが作られ始めた他会津塗絵蝋燭など後の会津地方を代表する特産品のきっかけを作った。[2]

宝徳3年(1451年)に没し、跡を子の盛詮が継いだ。

脚注 編集

  1. ^ 野州中村神社縁起 P27(中村神社文書編纂委員會、中村神社顕彰會、ISBN-4815031096)
  2. ^ 福島の伝統的工芸品福島県ホームページ 2023年7月6日閲覧