蘭京
蘭 京(らん けい、生年不詳 - 549年)は、中国の南北朝時代の人物。またの名を固成[1]。東魏の権臣高澄を殺害したことで知られる。
経歴
編集南朝梁の将軍の蘭欽の子として生まれた。東魏の軍に捕らえられて、奴隷に落とされ、高澄の家の厨房で働くこととなった。蘭欽が蘭京の身柄を金銭で贖おうとしたが、高澄は許さなかった。また蘭京も自身の解放を高澄に訴えたが、高澄は監厨倉頭の薛豊洛に命じて、蘭京に杖罰を加えた。蘭京はこのことを恨んで、弟の阿改を含む仲間の6人とともに反乱の計画を練った[2][3][4][1]。
武定7年(549年)8月辛卯、高澄は東魏の孝静帝からの禅譲を受けるべく、晋陽の北城の東柏堂で陳元康・楊愔・崔季舒らとともに人事の密談をしており、他の側近や護衛たちを遠ざけていた。蘭京は食事を進上する機会に、刀を盤に隠して高澄に近づき、斬りつけた。高澄は牀の下に隠れたが、蘭京は牀を引きはがして殺害した。陳元康は高澄をかばおうとして刺され、その夜に亡くなった。楊愔は狼狽して逃げ出し、現場に片方の靴を残していった。崔季舒は逃げて厠に隠れた。庫直の紇奚舎楽は蘭京らと戦って死に、散都督の王紘は戦傷を受けた。薛豊洛は宰人(料理人)を率い薪を持って現場に赴き、蘭京らに捕らえられた[5][6][1]。
ときに高澄の弟の太原公高洋が城東の双堂にいたが、事件を知って現地に赴いた。蘭京らは高洋率いる兵に掃討されて全滅した。蘭京らの遺体は高洋自らに斬り刻まれ、その頭蓋骨は漆塗りにされた[7][8]。
脚注
編集伝記資料
編集参考文献
編集- 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
- 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。