蠣崎 光広(かきざき みつひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。
康正2年(1456年)、武田信広の嫡男として誕生。
父・信広の後を継いで本拠をそれまでの上国から松前の大館に移し、蝦夷の経営に力を注いだ。永正12年(1515年)または永正16年(1519年)のショヤコウジ兄弟の戦い等にも関与している。
永正15年(1518年)、死去。