襄陽郡
大韓民国の郡
襄陽郡(ヤンヤンぐん)は、大韓民国江原特別自治道の東部にある郡である。
洛山寺の義湘台 | |
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 양양군 |
漢字: | 襄陽郡 |
日本語読み仮名: | じょうようぐん |
片仮名転写: | ヤンヤン=グン |
ローマ字転写 (RR): | Yangyang-gun |
統計(2023年) | |
面積: | 628.60 km2 |
総人口: | 27,710[1] 人 |
男子人口: | 14,192 人 |
女子人口: | 13,518 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 江原特別自治道 |
下位行政区画: | 1邑5面 |
行政区域分類コード: | 32410 |
襄陽郡の木: | イチョウ |
襄陽郡の花: | ? |
襄陽郡の鳥: | カササギ |
自治体公式サイト: | 襄陽郡 |
歴史
編集- 1895年旧暦閏5月1日 - 江陵府に属し襄陽郡となる(二十三府制)。
- 1896年8月4日 - 江原道襄陽郡となる(十三道制)。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、襄陽郡に以下の面が成立(7面)。
- 郡内面・巽陽面・降峴面・道川面・西面・県北面・県南面
- 1919年(9面)
- 高城郡土城面・竹旺面を編入。
- 郡内面が襄陽面に改称。
- 1937年 - 道川面が束草面に改称(9面)。
- 1942年10月1日 - 束草面が束草邑に昇格(1邑8面)。
- 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。ただし、県南面および県北面・西面の各一部は米軍管理下に置かれる。[2](南3面、北1邑7面)
- 1945年9月16日 - 米軍管理下の襄陽郡県北面・県南面・西面が江陵郡に編入。襄陽郡消滅(1邑7面)。
- 西面は新西面に改称。
- 1946年12月 - ソ連軍管理下の県北面が巽陽面に編入(1邑6面)。
- 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、襄陽郡に対する施政権が回復。下記の1邑7面で再出発。
- 束草邑・襄陽面・巽陽面・降峴面・土城面・竹旺面・県北面・西面(下線部は江陵郡から返還)
- 1963年1月1日(6面)
- 1973年7月1日 - 西面の一部(明開里)が洪川郡内面に編入(6面)。
- 1979年5月1日 - 襄陽面が襄陽邑に昇格(1邑5面)。
- 1983年2月15日 - 降峴面の一部(上福里の一部)が束草市雪岳洞に編入(1邑5面)。
行政
編集下位行政区域
編集邑・面 | 法定里 |
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襄陽邑 | 甘谷里、車馬里、旧校里、軍餉里、基里、南門里、奈谷里、仕川里、西門里、城内里、松岩里、連昌里、月里、林泉里、丁巽里、造山里、青谷里、浦月里、禾日里 |
巽陽面 | 柯坪里、間里、金崗里、桃花里、銅湖里、密陽里、扶蘇峙里、挿存里、上陽穴里、上旺道里、祥雲里、石界里、松田里、松峴里、水山里、水余里、如雲浦里、鰲山里、瓦里、牛岩里、舟里、下陽穴里、下旺道里、鶴浦里 |
降峴面 | 間谷里、降仙里、広石里、金風里、畓里、屯田里、勿甲里、沕淄里、防築里、沙橋里、上福里、石橋里、龍湖里、長山里、積銀里、前津里、釘岩里、酒庁里、中福里、砧橋里、下福里、回龍里 |
西面 | 加羅皮里、葛川里、公須田里、内峴里、論化里、米川里、凡阜里、北坪里、上坪里、西林里、西仙里、北庵里、松魚里、松川里、水里、盈徳里、五色里、龍沼里、龍泉里、長承里 |
県北面 | 基士門里、大峙里、陶里、末谷里、綿玉峙里、明池里、法水峙里、上光丁里、漁城田里、元日田里、桟橋里、獐里、中光丁里、下光丁里 |
県南面 | 見仏里、広津里、南涯里、洞山里、斗里、北盆里、上月川里、市辺里、遠浦里、仁邱里、臨湖亭里、笠岩里、前浦梅里、亭子里、酒里、竹里、池里、地境里、昌里、下月川里、後浦梅里 |
警察
編集- 束草警察署
- 襄陽地区隊
- 降峴派出所
- 県北派出所
- 県南派出所
- 西面治安センター
- 巽陽治安センター
消防
編集交通
編集高速道路
編集- 東海高速道路
- 県南インターチェンジ
空港
編集港湾
編集脚注
編集- ^ “주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
- ^ 양양의 역사 - 전통의 고장 양양문화원에 오신것을 환영합니다.
関連項目
編集- 松茸 - 襄陽郡は韓国有数の松茸生産地