観世清之(かんぜきよし、1849年12月6日(嘉永2年10月22日)-1909年6月17日) は明治時代の能楽師シテ方。4代観世銕之丞の次男。幼名:次郎、源次郎。1865年52代梅若六郎(初代梅若実)の養子となり、1872年53代梅若六郎を襲名。1895年観世姓に復し、観世清之と名乗り、銕之丞家の分家(矢来観世家)をたてる。

参考文献 編集

  • 日外アソシエーツ編集部『新撰 芸能人物事典―明治~平成』、2010年、日外アソシエーツ