貞順恵妃(ていじゅんけいひ、? - 1435年)は、明の宣徳帝の妃嬪。
韃靼人(モンゴル人)の恭順伯呉允誠の孫娘。恭順伯のモンゴル名は把都帖木児、明では姓を呉氏とされた。永楽3年(1405年)、明国に降り、永楽10年(1412年)に伯爵の位を授けられた。
宣徳10年(1435年)1月3日、宣徳帝が崩じた。呉氏と他9人は殉死させられた。妃の位を追授され、貞順の諡号が贈られた。