足立 保茂(あだち やすしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将福島正則の家臣。

 
足立保茂
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄12年(1569年
死没 元和元年5月7日1615年6月3日
改名 九郎(幼名)→保茂
戒名 後岩宗英禅定門
主君 福島正則
氏族 足立氏
父母 父:足立憲保
保宗
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生涯 編集

先祖は鎌倉時代平頼綱によって霜月騒動で滅ぼされた安達氏である。

主君・福島正則は、豊臣秀吉に仕えていたが秀吉死去後、徳川家康に与し慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで抜群の功績を挙げ、家康から広島城主49万8千石の大封を与えられた。保茂も関ヶ原の戦いでは奮戦し、正則から武勇の士として指領の一刀を贈られている。

元和元年(1615年)、大坂夏の陣の際も従軍するが討死を遂げた。享年47。

出典 編集

  • 『家族の源流 足立氏ものがたり』(竹内正道、中央公論事業出版、2003年)

系譜 編集

山蔭-相継-相國-國重-兼廣-盛長-景盛-義景-泰盛-顕盛-宗顕-時顕-顕高-景保-保顕-憲保-保茂-保宗(美濃国可児郡)-照元-元剛(足立家所蔵系譜より)