逢坂村 (鳥取県気高郡)

日本の鳥取県気高郡にあった村

逢坂村(おうさかそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。

おうさかそん
逢坂村
廃止日 1955年7月1日
廃止理由 新設合併
宝木村酒津村瑞穂村逢坂村浜村町気高町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.48 km2
総人口 2,095
[1]、1955年)
隣接自治体 浜村町、鹿野町(初代)、勝谷村小鷲河村青谷町
逢坂村役場
所在地 鳥取県気高郡逢坂村大字山宮字小山尻367ノ1番地[2]
座標 北緯35度28分49秒 東経134度02分16秒 / 北緯35.48033度 東経134.03789度 / 35.48033; 134.03789座標: 北緯35度28分49秒 東経134度02分16秒 / 北緯35.48033度 東経134.03789度 / 35.48033; 134.03789
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概要

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現在の鳥取市気高町山宮・気高町高江・気高町郡家・気高町会下(えげ)・気高町睦逢(むつお)・気高町上原(かんばら)・気高町飯里・気高町下石(おろじ)・気高町殿に相当する。

平安時代にこの地域は大坂郷(逢坂谷)と呼ばれ、気多郡の郡家が置かれていた。範囲は旧逢坂村域および気高町下原・気高町八幡・気高町八束水・鹿野町小別所の南北に細長い河合平野一帯としていた[1][3]

藩政時代には鳥取藩領の気多郡八幡郷(やわたのごう)に属する高江村・郡家村・会下村・新宮村・橋詰村・山宮村、および殿村郷(とのむらのごう)に属する上原村・飯里村・下石村・殿村があった[1]

沿革

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  • 1877年(明治10年)5月22日 - 新宮村と橋詰村が合併して睦逢村となる。「睦まじく逢う」の意によるものとされる[1]
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年) - 連合戸長役場を山宮村に設置。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、下石村・殿村・飯里村・上原村・山宮村・睦逢村・会下村・郡家村・高江村が合併して村制施行し、気多郡逢坂村が発足。旧村名を継承した9大字を編成し、役場を山宮村に設置[1][4]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡逢坂村となる。
  • 1915年(大正4年)1月1日 - 「逢坂村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「逢坂村大字◯◯」と改称[5]
  • 1955年(昭和30年)7月1日 - 宝木村・酒津村瑞穂村浜村町と合併し、気高町が発足。同日逢坂村廃止[6]

行政

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戸長

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  • 山宮村外12ヶ村連合戸長役場:高木儀實[7]
    管轄区域:山宮村・殿村・飯里村・下石村・上原村・睦逢村・郡家村・高江村・会下村(後の逢坂村)、下原村(後の正条村の一部)、小別所村・鷲峰村・河内村(後の小鷲河村[8]

歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
久野賢五郎 1889年(明治22年)11月15日 1893年(明治26年)11月15日
2 久野賢五郎 1893年(明治26年)11月16日 1895年(明治28年)3月19日 家事都合
3 戸板寿雄 1895年(明治28年)4月18日 1899年(明治32年)4月17日
4 田中伊太郎 1899年(明治32年)4月21日 1900年(明治33年)5月21日 病気
5 戸板寿雄 1900年(明治33年)7月5日 1904年(明治37年)7月6日
6 戸板寿雄 1904年(明治37年)7月9日 1908年(明治41年)7月8日
7 中嶋源蔵 1908年(明治41年)7月18日 1912年(明治45年)7月17日
8 中嶋源蔵 1912年(明治45年)7月18日 1914年(大正3年)4月7日 家事都合
9 山本壹 1914年(大正3年)4月18日 1918年(大正7年)4月17日
10 山本壹 1918年(大正7年)4月18日 1922年(大正11年)4月17日
11 山本壹 1922年(大正11年)4月18日 1926年(大正15年)4月17日
12 中嶋源蔵 1926年(大正15年)4月18日 1930年(昭和5年)4月5日 家事都合
13 田中捨蔵 1930年(昭和5年)5月10日 1934年(昭和9年)5月9日
14 山根瑞幹 1934年(昭和9年)5月10日 1938年(昭和13年)5月9日
15 山本壹 1938年(昭和13年)5月10日 1940年(昭和15年)6月11日 病気
16 山根瑞幹 1940年(昭和15年)7月7日 1944年(昭和19年)7月6日
17 田中信一 1944年(昭和19年)7月7日 1947年(昭和22年)1月25日 家事都合
18 田中政雄 1947年(昭和22年)1月26日 1948年(昭和23年)4月8日
19 田中政雄 1948年(昭和23年)4月9日 1951年(昭和26年)4月4日 1951年4月5日選挙執行
20 田中政雄 1951年(昭和26年)4月23日 1955年(昭和30年)6月30日 合併により任期延長
合併後気高町長に就任
参考文献 - [1]

教育

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  • 逢坂村立逢坂小学校(現・鳥取市立逢坂小学校[1]
  • 組合立鹿野中学校(1947年 - 1949年):逢坂村と鹿野町との組合立[1]
  • 浜村町逢坂村学校組合立浜村中学校:浜村町立浜村中学校を組合立に改組して1949年(昭和24年)7月29日に改称。合併後に気高町立浜村中学校となり、その後統合により気高町立気高中学校、現在は鳥取市立気高中学校なる[1]

交通

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鉄道

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出身者

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脚注

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関連項目

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