郁久閭 車鹿会漢音:いくきゅうりょ しゃろくかい、拼音:Yùjiŭlǘ Chēlùhuì、生没年不詳)は、柔然部の族長。木骨閭の子。初めて“柔然”と名乗る。

生涯

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父の木骨閭が死去すると、子の車鹿会は勇敢で壮健なので、部衆が集まり、族名を“柔然”と号した。それまでは高車紇突隣部に依っていたが、鮮卑拓跋部代国に帰属した。

車鹿会が部帥となると、毎年などの家畜やの皮を代国に貢納した。遊牧民である柔然部は冬になると大漠(ゴビ砂漠)を渡って南に移り、夏になると漠北に帰って生活した。

車鹿会が死去すると、子の吐奴傀が立った。

参考資料

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  • 魏書』(列伝第九十一 蠕蠕)
  • 北史』(列伝第八十六 蠕蠕)
先代
木骨閭
柔然の族長
? - ?
次代
吐奴傀