郡谷 照一郎(ぐんや てるいちろう、1876年(明治9年)9月15日[1] - 1969年(昭和44年)4月13日[2])は、明治時代後期から昭和時代の政治家実業家衆議院議員

経歴

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静岡県賀茂郡、のちの松崎町出身[1]。志村広吉の二男として生まれ、のち先代ユキの入夫となり家督を相続する[3]1895年(明治28年)甲府市友朋義塾卒業、のち米国のセントポール工科学校に学ぶ[4]

帝国更新会副会長、東京工電専務取締役、同社長、松崎水力電気、静岡電気各専務取締役、東京電燈秘書役、日本国有鉄道協力鉄友会理事長を歴任した[4]

1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から立憲政友会所属で出馬し当選[4]。衆議院議員を1期務めた[4]

戦後の1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙において静岡2区から民主党公認で立候補したが落選した[5][6][注 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 衆議院議員の前歴があるが、各資料の新旧別では「元」でなく「新」と記載。

出典

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  1. ^ a b 衆議院事務局 1928, 17頁.
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』236頁。
  3. ^ 人事興信所 1928, ク88頁.
  4. ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 182頁.
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』169頁。
  6. ^ 『朝日選挙大観』508頁。

参考文献

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