金 海剛(キム・ヘガン、朝鮮語: 김해강1903年4月16日 - 1987年5月21日)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国詩人、教員。

本名は金 大駿(キム・デジュン、김대준)。

生涯 編集

全羅北道全州出身。新興学校(現・全州新興高等学校)、全州師範学校(現・全州教育大学校)を卒業。その後教員を務めながら詩作。1925年朝鮮文壇への『月の国』と1926年東亜日報への『新しい日の祈願』で文壇に登場し、この時期はほかに『出帆の歌』、『5月の歌』、『変節者よ!行け』、『姉の臨終』等がある。1936年に詩専門誌『詩建設』に同人として参加し、1940年に金嵐人との共同詩集『青色馬』を刊行した。そのほか、韓国芸術文化団体総連合会全羅北道支部長を歴任した[1]。自宅にて84歳で死去した[2][3]

死後の評価 編集

2002年に発表された親日文人42人名簿に選ばれた。1942年の『帰ってこない九つの壮士』など計3編が選ばれた。

全州の徳津公園に詩碑が建てられている。

参考資料 編集

脚注 編集

  1. ^ 김해강(金海剛)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年9月10日閲覧。
  2. ^ 시인 金海剛(김해강)씨”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1987年5月22日). 2022年9月10日閲覧。
  3. ^ 韓国詩集博物館”. 2022年9月10日閲覧。