鈴木章夫 (外科学者)

鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本の医学者医師。専門は心臓外科学。

鈴木章夫
生誕 (1929-11-07) 1929年11月7日
日本の旗 日本
死没 (2010-10-28) 2010年10月28日(満80歳没)
居住 日本の旗 日本
研究分野 心臓外科学
研究機関 東京医科歯科大学
出身校 東京医科歯科大学
プロジェクト:人物伝

1995年から2008年まで東京医科歯科大学学長を務めた。

目次

経歴編集

  • 1950年 東京大学中退
  • 1956年 東京医科歯科大学医学部卒業
  • 1956年 東京米国陸軍病院インターン
  • 1958年 クリーブランド市セントヴィンセントチャリティ病院胸部外科チーフフェロー
  • 1968年 ミシシッピ大学医学部外科教授・同病院心臓血管外科部長
  • 1969年 東京医科歯科大学医学博士「弁移植 」[1]
  • 1974年 順天堂大学医学部胸部外科主任教授
  • 1983年 東京医科歯科大学医学部胸部外科学講座教授
  • 1987年 東京医科歯科大学医学部附属病院長
  • 1992年 東京医科歯科大学医学部長
  • 1995年 東京医科歯科大学学長
  • 2008年 東京医科歯科大学名誉教授

受賞歴編集

その他編集

手塚治虫の漫画 ブラック・ジャック編集

週刊少年チャンピオン1977年11月21日号に掲載された、手塚治虫連載のブラック・ジャック第191話「肩書き」に、J大学の鈴木教授なる人物が言及されており、これは医学界(とりわけ心臓外科学界)では順天堂時代の鈴木章夫であると言われている[7][8][9]

1960年、鈴木の名は全米を駆けめぐった編集

1960年、人工弁の開発成功により、全米で評価を得る[9]

趣味編集

  • 硬式テニス

逸話編集

ハーバード大学との提携とアメリカ時代編集

鈴木が渡米した1957年頃は、人種差別が残り、日本人にマサチューセッツ総合病院レジデントの道は閉ざされていた。 「アパートを探しに行くと、パールハーバーを爆撃した国民に貸す部屋はない、なんていわれたんだからね(笑)」

ただ、クリーブランド市セントヴィンセントチャリティ病院において、鈴木が人工弁の手術に成功すると、逆に、ハーバードから教えを請われることとなる。 「『手術を見せて欲しい、自分たちにもその人工弁を使わせてほしい』と言ってきたよ」

本プログラム、ハーバード大学との提携は鈴木とハーバード大学教授との友情のたまものであった。 「彼らは何かを成し遂げた人物には礼を尽くす。それはアメリカの良いところだね。」

鈴木の若き医学生への願いは 「どうしても助けられない」 、その時に 「何とかできないか」 という思いをたえず持てば 「きっとアイディアが浮かんでくるはずだ。私もそうやって来た」 であった。 [10]

脚注編集

  1. ^ 博士論文書誌データベース
  2. ^ 日医ニュース第869号(平成9年11月20日)平成9年 秋の叙勲・褒章受章者
  3. ^ asahi.com文化勲章 狂言の茂山千作氏ら 功労者は仲代達矢氏ら 2007年10月27日 2011年12月14日閲覧。
  4. ^ asahi.comブラックジャック列伝:4「宿命のライバル」が競い合う心臓手術2006年6月22日2011年12月14日閲覧。
  5. ^ 「人工弁の創造と心臓外科手術開発への道―鈴木章夫先生に聞く」(心臓Vol.41, No.5) 2011年12月14日閲覧。
  6. ^ 「医師の務めは患者さんに最適の治療を施すこと―鈴木章夫先生に聞く」 (心臓Vol.41, No.6) 2011年12月14日閲覧。
  7. ^ 週刊少年チャンピオン1977年11月31日号、手塚治虫漫画全集 163『ブラック・ジャック』13巻、少年チャンピオンコミック14巻
  8. ^ ブラックジャック列伝:4 「宿命のライバル」が競い合う心臓手術
  9. ^ a b 香陵の風―沼津東高の百年 27 鈴木章夫(東京医科歯科大学長)
  10. ^ “ハーバードに並ぶ 学長×派遣学生 座談会”. Bloom! 医科歯科 (東京医科歯科大学). (11 2005). http://www.tmd.ac.jp/artis-cms/cms-files/20100323-134109-5309.pdf 2012年2月8日閲覧。.  斜体部は当該文献より引用。