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長尾 景秀(ながお かげひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士上杉氏の家臣。

 
長尾景秀
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正11年(1583年
別名 通称:平太
主君 上杉景勝
氏族 総社長尾氏
父母 父:長尾景総または長尾顕方[1]
直江信綱?
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略歴編集

総社長尾氏の一族で長尾景総あるいは長尾顕方の子とされる。上杉景勝に従う。

天正9年(1581年)に勃発した新発田重家の乱では、天正11年(1583年)に重家の居城・新発田城を攻めた際に討ち死にを遂げる。景秀の死により総社長尾氏は断絶した(「総社長尾系図」)とされるが、黒田基樹は上杉家の史料より、長尾景総の嫡男(景秀の兄弟か)と推定される「長尾右門」、勝田氏からの養子とみられる「(2代目の)長尾右門」(天正18年(1590年)没)、その息子である「(2代目の)長尾平太」(いずれも実名不詳)が総社長尾家の家督が継承され、慶長元年(1596年)の(2代目)平太の死去によって断絶したとしている[2]

一説に直江信綱の父ともいわれる。

脚注編集

  1. ^ 総社長尾家嫡流、すなわち長尾顕方の子とする説(「惣社長尾系図」)があるが、同家の下克上(分家である高津家交替)は永正の乱の時のことで、顕方流の動向が不明になってから久しいことから景秀も高津家系の総社長尾家の嫡流とみられている(「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』。)
  2. ^ 「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』

出典編集

  • 黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院 2013年 ISBN 978-4-87294-786-1