長谷秀雄
日本の彫刻家
生涯
編集彫刻家 朝倉文夫に師従し、現在の東京藝術大学の前身である東京美術学校(旧制)を修了。
京都西本願寺 大谷尊由の支援を受け、埼玉県蕨市中央三丁目にアトリエを開設。終戦の2年後(昭和22年)には蕨画塾(わらびがじゅく)を開塾、翌年(昭和23年)には埼玉県から各種学校の認可を受けている。芸術家を志す人だけでなく広く一般人を受け入れ、戦後美術の発展に寄与した。
閉校するまでの受講生は約1300名、現在の東京藝術大学にも200名以上の塾生が入学した。東京芸術藝術大学教授の安井 曾太郎は画塾を「芸大分校」と形容している。
随筆集『随筆画窓漫談』には熊本の「とのさん」こと細川護立侯と当時の美術界の面々の日常が記され、歌集『浩然居歌集』の題字も細川侯より寄稿されている。
総作品数は不明であるが、郷里である大分県にも大友宗麟像(大分市城址公園、大分市神宮寺浦公園)、裸婦像(別府市公会堂、別府市的ヶ浜公園)など多くの作品が展示されている。
晩年は、大分県別府市の観海寺温泉付近にアトリエを設けて、冬季になると帰郷し制作活動を行っていた。
略歴
編集- 1900年 大分県別府市に生まれる
- 1923年 朝倉文夫の門下生となる
- 1929年 東京美術学校卒業
- 1932年 東京美術学校研究科修了
- 1936年 帝展無監査
- 1947年 埼玉県蕨市に蕨画塾を開校
- 1964年 蕨画塾 閉校
- 1965年 日展委属
- 1966年 埼玉県芸術文化賞受賞
- 1981年 勲五等瑞宝章受賞
- 1986年 逝去
- 2016年 凄っ!蕨画塾展 ~蕨の町に芽吹いた美術学校の軌跡~
著書
編集- 長谷秀雄 『浩然居歌集』 中央公論事業出版、1965年
- 長谷秀雄 『随筆画窓漫談』 伝統と現代社、1981年
脚注
編集出典
編集- 長谷秀雄 『随筆画窓漫談』 伝統と現代社、1981年
- 大分県歴史人物事典 K280.3/O34 00003483278 P400