関忠志 (社会教育活動家)
関 忠志(せき ただゆき 1905年 - 没年不明)は日本の著述家、ボーイスカウト運動の指導者。
せき ただゆき 関 忠志 | |
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生誕 |
1905年??月??日 日本 東京都 |
出身校 | 明治大学 |
来歴 編集
少年時代からボーイスカウト運動に参加し、明治大学に入学し日本最初の大学スカウト体を創設する。第二次世界大戦後ボーイスカウト運動再建のために日本ボーイスカウト日本連盟総主事に就任する。その後日本ユネスコ協会連盟事務局長を歴任する。この間米国へ生年教育視察に赴き、インド、東南アジアにユネスコ世界青年会議のために渡航する。その他ギリシャや欧州に渡航しボーイスカウト世界大会の開催に尽力する[1][2]。
著作 編集
脚注 編集
- ^ 「明治大学体育会ローバースカウト部(スポーツ編)」『明治大学』
- ^ 関忠志『キャンピング---技術とガイド』実業之日本社 197