阿佐太子(あさたいし、アジャテジャ、6世紀末 - 7世紀前半頃)は、百済の王族出身画家で、威徳王の息子。日本に来て聖徳太子肖像画を描いたと伝えられる。

生涯編集

日本書紀』によれば、推古天皇5年(597年)4月に日本に渡って聖徳太子の肖像を描いたと言われる。奈良の法隆寺に伝来し、明治以降は御物となっている『聖徳太子二王子像』と呼ばれる絵は、日本で一番古い肖像画とされている。その形式は中央に太子が立ち、その左右に2人の王子(伝えられるところによれば、右側が山背大兄王、左側が殖栗王)を小さく配置した構成である。この配置は、仏教の三尊仏形式の影響を受けたとも考えられ、あるいは閻立本の作とされる初唐の『歴代帝王図巻』に見られる人物配置に似ることから、その頃の構図法に起因したものと解釈されることがある。

日本学界でも論議が多いこの像は、製作時期においても太子の冠の様式や太子及び王子の服飾から見て、8世紀(奈良時代)の作品だと見る説と、平安時代以降の模本と見る説が概して多い。

このように現在伝えられる聖徳太子像の作者および制作時期は、様式上の問題点と同時に、阿佐太子に対する記録が韓国側資料にはないという事実によって、未解決の課題である。

関連項目編集

参考文献編集

  • 『週刊朝日百科』「皇室の名宝 御物1」、朝日新聞社、pp.357 - 359
  • 『御即位20年記念特別展 皇室の名宝』(特別展図録)、東京国立博物館、2009、p.173