顧汝章(こ じょしょう、1894年1952年)は、少林拳鉄砂掌功の武術家。

顧汝章

中国江蘇省阜寧(ぶれい)県の出身。幼少より父に武術を学ぶ。父の顧利之(りし)は、潭腿の名手で鏢局を開設していた。

その後、厳継蘊(げんけいうん)より少林拳と鉄砂掌功を学ぶ[1]。厳の祖父は嵩山少林寺で武術を修行後、山東省肥城県において済東鏢局を開設した。厳は、祖父の武術と鏢局を受け継ぐ。

1928年、南京中央国術館に教師として迎えられた。その後広州の両広国術館(館長・万頼声)の教師、1932年には湖南省国術館の総教練となる。1952年に貴州に行きその地で死去。

脚注 編集

  1. ^ 「露西亜人力士の挑戦を受けた顧汝章は、力士の乗馬の蹄で蹴られても平然としていた。顧汝章が力士の馬を鉄砂掌で一撃すると馬は血を吐いて即死した。」という逸話があるが、胡少葆(顧汝章の弟子)によると露西亜人力士との決闘は官憲が制止しており、逸話は後世のフィクションであるという。