馬詰 柳太郎(まづめ りゅうたろう、弘化元年(1844年) - ?)は、新選組隊士。美男五人衆の一人。

中国地方出身といわれ、文久3年(1863年)9月以前に、父・馬詰新太郎と共に新選組に入隊。芹沢鴨暗殺の日でもある同年9月18日(16日とも)、新選組隊士達が島原へ遊興しに行った際には、屯所で留守番をしていた。

美男で有名だった[1]。女好きだったが気が弱く、仲間の隊士達と飲みに行くこともできなかった。

近所の郷士・南部亀二郎家の子守女と仲が良かったことから、「南部の子守のお腹がふくれた、タネは誰だろ、馬詰のせがれに聞いてみろ聞いてみろ」とからかわれた[1]。そのため馬詰親子は居辛くなって、ある夜(池田屋事件の当日とも)に新選組を脱走した。

なお、父・新太郎は45,6歳で、号を柳元斎と称して書が上手い一方、刀の差し方などまるで知らず、隊士達によく使い走りをさせられていたといわれる。

脚注

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  1. ^ a b 明田 1967, p. 144.

参考文献

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