駒村 資正(こまむら すけまさ 1894年6月14日 - 1969年10月22日)は、日本の実業家政商大正時代から昭和時代にかけて活動した。

経歴  編集

1894年に奈良県に生まれる。1915年大阪高商(現大阪市立大学)を卒業後、三井物産に入社。綿花を取り扱う綿花部に配属される。1919年に棉花部が東洋棉花として独立した際に移り、海外で棉花の買い付けに従事した。1931年に昭和棉花常務、1945年には江商の社長に就任した。第二次世界大戦後は政財界に面識を広げ、関西財界のみならず全国区の論客としても知られるようになり、通商産業省顧問、大阪商工会議所副会頭、日本綿花協会理事長、経団連常任理事、日本貿易振興会理事長などを歴任した[1]

晩年、出身母体の江商は、海外取引の失敗などにより経営が悪化。1967年には兼松と合併して兼松江商(現・兼松)となった。

1969年10月22日、喉癌のため兵庫県神戸市の自宅で死去[2]

受章  編集

脚注  編集

  1. ^ 駒村 資正”. 20世紀日本人名事典. 2020年12月12日閲覧。
  2. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和44年10月22日夕刊、3版、11面

関連項目  編集

先代
野瀬七郎平
江商社長
1945年 - 1958年
次代
藤田亀太郎
先代
杉道助
日本貿易振興会理事長
1964年 - 1969年
次代
原吉平