高嵩渓

江戸時代の英派の絵師

高 嵩渓(こう すうけい、宝暦10年(1760年) - 文化14年4月7日1817年5月22日))は江戸時代英派絵師

来歴

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高嵩谷の門人。嵩谷の実子または養子と言われる。高久氏または高氏。名は信宜。字は可復。嵩渓、玄々斎、煙龍舎、睡雲子と号した。両国薬研堀に住んでおり、寛政から文化の頃に活躍していた。金龍山浅草寺に奉納した絵馬「猩々舞図」は好評を得たといわれる。享年58。墓所は蔵前の法林寺。

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
猩々舞 板地着色 絵馬1面 250x370 浅草寺 1803年享和3年) 款記「享和3年癸亥秋七月穀旦 高嵩渓藤原信宜圖[1]
寿老人 紙本着色 扇面1本 太田記念美術館
錣(しころ)引 紙本着色 扇面1本 太田記念美術館 1804年(文化元年)
富士に田植え図 絹本着色 1幅 41.5x70 大英博物館
祭礼図 絹本着色 1幅 95.2x44.7 大英博物館 款記「高嵩渓」/「信宜之印」白文方印
源頼朝主従図・鶴に七里ヶ浜図・江ノ島富士図 絹本着色 3幅対 99.8x37.1(各) 大英博物館 中幅:款記「高嵩渓信宜謹圖・左右幅に「高嵩溪画」/各幅に「藤原」印

脚注

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  1. ^ 『金龍山 浅草寺 絵馬図録』金龍山浅草寺発行、1978年、図15。

参考文献

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  • 太田記念美術館編『鴻池コレクション扇絵図録Ⅰ 浮世絵編』 太田記念美術館、1981年
  • 日本浮世絵協会編『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年