高橋 新八(たかはし しんはち[1] / しんぱち[2]1880年明治13年)6月28日[1] - 1923年大正12年)4月9日[1][注 1])は、明治から大正期の造船技術者実業家政治家華族貴族院男爵議員。旧名・新作[1]

経歴 編集

英学者・高橋新吉の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月20日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1909年7月(明治42年)東京帝国大学工科大学造船学科を卒業[2][5]神戸川崎造船所技師を経て、1917年(大正6年)八千代生命保険監査役に就任[2]。その他、南国護謨監査役、輸出水産取締役、墨田川造船所社長などを務めた[2][3]

1922年(大正11年)5月13日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1923年4月8日まで在任した[2][8][9]

親族 編集

  • 妻:延(のぶ、伊東祐亨二女)[1]
  • 長男:新二(男爵、海軍主計大尉)[1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76頁では4月8日。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』27頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76-77頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第6版』た84-85頁。
  4. ^ 官報』第1916号、大正7年12月21日。
  5. ^ 「高橋新作」『東京帝国大学一覧 明治42-43年』東京帝国大学、1910年、学士及卒業生姓名202頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  7. ^ 官報』第2933号、大正11年5月15日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  9. ^ 『官報』第3207号、大正12年4月12日。

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
高橋新吉
男爵
高橋(新吉)家第2代
1918年 - 1923年
次代
高橋新二