鮮于 修礼(鮮于脩禮、せんう しゅうれい、生年不詳 - 526年)は、北魏の反乱指導者。本貫は五原郡。
526年(孝昌2年)1月、中山左人城で反乱を起こし、魯興元年の元号を立てた。定州を本拠として瀛州に進出した。北魏の長孫稚や河間王元琛らの討伐をしりぞけた。8月、反乱軍の将軍の元洪業に斬られた。一説に部下の葛栄に斬られたともいう。