鷲ノ森 常吉(わしのもり つねきち、1850年6月11日(嘉永3年5月2日) - 1914年4月24日)は、明治時代の大相撲力士。年寄7代湊川。本名、平原常吉。

磐城国白川郡出身。1876年高砂改正組で初土俵。1878年5月東京相撲に加入し、三段目。1880年1月幕下二段目。最高位は幕下5枚目。1895年1月引退、世話人となる。湊川(元大関・八幡山)の廃業後、妻女が師匠高砂(元高見山)の妻の妹という事情もあり1897年1月年寄湊川を襲名。湊川部屋を経営した。

1914年4月24日、中風により死去。63歳没。

出典 編集

  • 海蔵寺”. 相撲記念館・史跡案内. 2019年10月5日閲覧。