12の戦い [1]ペルシア語: دَوازدَه رُخ‎ Davazdah Rokh )とは、イランの文学作品シャー・ナーメ(王書)の中の物語で、ペルシアトゥーラーンの国境における両国の勇者間の戦いである。

シャー・ナーメ全体のおよ60,000の対句のなかで約2,500の対句を占めるこの長い物語は、そのプロット、劇的な描写、また人間性への洞察の観点から、シャー・ナーメの最高の物語の1つと紹介されることもある [1]

ペルシア軍を率いるカイ・ホスローと、その敵軍であるアフラースィヤーブの指揮下にあるトゥーラーン軍。バヤサンゴール王子(1399–1433)のために1430年作成 [2]。ユネスコ登録遺産。

戦いの始まり 編集

カイ・ホスロー王のペルシアとアフラースィヤーブ王のトゥーラーンは、対立状態にあった。ペルシアの勇者たちの長はグーダルズ、トゥーラーンの勇者たちの長はピーラーンである。ピーラーンの兄弟であるフーマンがペルシア軍に挑み、一騎打ちでグーダルズの孫のビージャンに殺され戦いが始まる。2つの軍隊は何度も戦うが、勝敗がつかない。このため最終的に、両国は互いの軍隊の勇者(英雄)間での一騎打ち( mard o mard )による戦いに同意し、12の戦いが始まった。

双方の勇者による戦い 編集

   (ペルシア側)    (トゥーラーン側)

  1. ファリーボルズ 対 ゴルバード ヴィセ
  2. ギヴ 対 ゴルイェ ゼレ
  3. ゴラゼ 対 トゥーラーンのスィアマク
  4. フォルハル 対 ザンゴラ
  5. ロハム 対 バルマン
  6. ビジャン 対  ルーイン
  7. ホジィル 対 セパフラム
  8. ザンゲイェ シャヴァラン 対 アフヴァスト
  9. ゴルギン 対 アンダリマン
  10. バルタ 対 コフラム
  11. グーダルズ 対 ピーラーン
  12. ゴスタハム 対 ラッハクとファルシャド

すべての戦いにおいて、ペルシア側の勇者が勝利した。最後にグーダルズがピーラーンを殺し、戦争は終了する。他方、ゴスタハムは、ペルシアの王カイ・ホスロ―によりトゥーラーンと戦うためには選ばれなかったが、ピーラーンの兄弟であるラッハクとファルシャドを追いかけ、彼らを殺す。しかし重傷を負い、ビジャンは彼をカイ・ホスローのところに連れて行き、カイ・ホスロ―はゴスタハムの腕に傷を癒す聖なるビーズの腕輪を着用させて命を救う。戦争はトゥーラーンの王アフラースィヤーブの死で終わる。

シャー・ナーメのいくつかの写本では、物語は Yazdah Rokh (11の戦い)と題されており、ゴスタハムとピーラーンの兄弟の間の最後の戦いは数えられていない。

戦争はイランの勝利で終結し、カイ・ホスロー王とグーダルズ率いるペルシア軍に敬意を表する祝祭が開かれた。

12の戦いがあった場所 編集

シャー・ナーメによれば、戦いの場所は、イランのホラーサーン州のズィーバッド城またはゴナバードの黒い山の近くの地域であった [1] [2] [3]

ギャラリー 編集

関連項目 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b Khaleghi-Motlagh. “DAVĀZDAH ROḴ”. ENCYCLOPÆDIA IRANICA. 2020年5月20日閲覧。
  2. ^ “Bayasanghori Shâhnâmeh” (Prince Bayasanghor’s Book of the Kings)”. 2009年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月20日閲覧。
  3. ^ (Location of Davazdah Rokh): Zibad
  4. ^ Departure of Kai Khosrow mother and grandmother toward Iran. (Kay Khosrow is seen with the old man in the middle)

ソース 編集

  • Ferdowsi university Simorgh Magazine,No 9 August 28, 2018 page 81-89 Location of Davazdah Rokh combats

外部リンク 編集

  • hamshahrionline:a festival in the place of Davazdah Rokh war[3]
  • [4]