Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/ニュースの扱いについて

Wikipedia‐ノート:井戸端/ニュースの扱いについてから転送)
最新のコメント:18 年前 | トピック:速報的な記事に関して | 投稿者:Nekosuki600

速報的な記事に関して 編集

現在、地震や重大な事件などに関して、ニュース速報的な項目が作成される場合があります。これについてですが、幾つか問題があると思います。

まずひとつは前述どおりニュース的である点です。Wikipediaはあくまで百科事典であり、ニュースサイトではありません。もうひとつは、未確定で確認のとりようがない情報があふれる点です。Wikipediaは情報の正確性は重要ですし、それに、例えば地震などの災害において、正確な情報が流れるべきところに確認のできない情報や憶測が流れるようでは、場合によっては利用者に重大な不利益が生じる恐れがあります。

今日発生した地震に関しても、気象庁の正式な地震名称の発表もないまま項目が作られています。Wikipediaは客観的に項目を作るべきであり、主観的に物事を決定すべきではありません。この事象は新潟県での地震のときにも起きました。

この点を踏まえて、ニュース速報的な記事の作成を抑えるためのルール作りを提案します。

私案
  1. 一定の時間(半日~1週間)が経過するまで記事を作らない
  2. このルールに反した記事は(即時)削除対象とする

なお、このような記事はWikinewsが適切なのですが、日本語版がないためどうともいいがたいのが現状でしょうか。

以上でございます。しるふぃおはなし|おもいで2005年3月20日 (日) 13:11 (UTC)返信

  • (コメント)予定が記されていて、白黒程度の判別が待ち望まれていた記事と、突発的な記事とでは時間を分けた方が良いですね。政治とか、実験の正否とかは極端に加筆後の内容が変更されるとは思いませんが、特に災害関係は概要が見えてくるまで1週間はスパンが欲しいと思います。また、事件事故は誤認逮捕とか誤認したゴシップとかも発生しますので2週間は欲しいと思います。有る程度区分分けをした方が良いような気がします。Miketsukunibito 2005年3月20日 (日) 13:26 (UTC)返信
  • (コメント)「気象庁の正式な地震名称の発表もないまま項目が作られています」これは誤解です。地震の名称は震源地によって決定されるので、正式な発表もなにもありません。福岡県西方沖で起きた地震なら、「福岡県西方沖(の)地震」が正式名称です。後からさらに災害に対して名前がつけられる場合もありますが。
    それから、新ルール策定については反対します。不正確な情報は編集で消して対応すれば済む話です。--mochi 2005年3月20日 (日) 13:48 (UTC)返信
  • なぜ地震の名称は気象庁発表のものを使うのか?それは単に名称を統一するためです。新聞各社やテレビで報道されると微妙に名称が違うことがあります。結果、記事を移動することになり無意味なリダイレクトが乱立します。それならば、気象庁=政府発表の名称をつけたほうが一番わかりやすくなります。
    新ルールとすることには制約が多くなってしまうので反対しますが、ある程度の節度は求められると思います。(聞いたことをすぐに書くのではなく、情報を収集した上で書かれるのが百科事典にふさわしいです。)たね 2005年3月20日 (日) 14:03 (UTC)返信
  • 私は賛成します。今回の地震の記事についてですが、まず、今回の地震の規模ではそもそも単独で記事を作るべきか非常に微妙なボーダーライン上にあると思います。それに、地震発生直後は情報が錯綜していることも多いです。記事を作るか否かもある程度時間が経ってから判断したほうがいいでしょうし、あまり早くから記事を作ってもいたずらに情報の混乱を招くだけであまりメリットがないのではないでしょうか。災害の記事では、不正確な情報を流してしまうことにより実際にデマが流れたり影響が大きいので、それを考えると先を争うように記事が作られている現状はどうかと思います。ただ、地震の記事で1週間待つと言うのも自分はやや長すぎるように感じます。時間に関しては出来事別に多少変える必要があるとは思いますが、時間を置く必要があることには賛成します。Enirac Sum 2005年3月20日 (日) 14:05 (UTC)返信
  • 特に地震や災害の場合は情報錯誤が常です。要らぬデマが流れれば本当に救援を待っている人たちが困るだけです。今回の場合は、名前云々よりも記事の作られた時間が問題だと思います。災害地などでは小さな誤報が大きな誤報となって広がりやすいです。1週間というのは前回の津波の事を考えての事ですが、国内では1日から2日あれば情報もしっかりとしてくると思います。Miketsukunibito 2005年3月20日 (日) 14:26 (UTC)返信
  • 地震の名前に関してですが、大きな被害が出た地震に対しては気象庁が正式に命名を行っています。参考:[1]。今回はたまたま各社の報道している地震名に揺れが少ないようですが、新潟県中越地震の時は確か初期に地震名がかなり混乱していたはずですし、現にウィキペディアでも記事名の混乱が起きました。中越地震の時は地震翌日に気象庁が命名について正式に発表しています。今回の地震も気象庁から正式な発表があるかどうかもう少し待つべきだったのではないでしょうか。それにあまり初期に項目を作っても、論争や編集合戦を招きやすいと思います。Enirac Sum 2005年3月20日 (日) 14:37 (UTC)返信
  • ルール化には反対します。そもそも事前規制はウィキペディアの精神に反します。ニュース速報は個人的に好みではありませんが、事前規制するほどのこととも思いません。誰にでも編集が開かれているウィキペディアは各参加者の良心を信じることが前提になっていると考えています。この問題でも各人の良心と見識を期待するという点では同じだろうと思います。tanuki_Z 2005年3月22日 (火) 04:36 (UTC)返信
  • 私は賛成します。人命に関わる災害時に即して、インターネットという無制限に情報発信のできる媒体を用い、かつ閲覧者も多くなっている当サイトが誤った情報を流してしまう恐ろしさを考えてください。ウィキペディアにそういうリスクを負わせたくありませんし、縛りを設けることでここの執筆者である我々自身の責任回避になります。ことこの件に関して、とてもじゃないですが一部執筆者の良心と見識に期待する気にはなれません。問題があまりにも重過ぎます。Aboshi 2005年3月22日 (火) 04:49 (UTC)返信
  • (消極的賛成)地震のような災害でも速報はニュースサイトなどを見ればよいのであって、百科事典には不要です。必要があるとすれば玄界島のような記事でしょう。また、地震に限らず、事件・事故など間違った情報の発信源とされるリスクを回避しなければなりませんが速報はその性格から不正確な情報を含む可能性が多分にあります。ウィキペディアに速報は不要であり有害です。また、このルールは有名人の犯罪やゴシップ等の記事の歯止めにもなると思います。「ウィキペディアはなんでないか」にも書いてあるのだからことさらルール化などしなくてもよさそうなものですが、スマトラ島沖地震の時(12月27日だけで50回以上編集されている)や、逮捕されたといっても起訴もされていない段階での記事化、週刊誌の発売当日にタレントのゴシップ記事がたてられるような現状を考えるとルール化に賛成せざるを得ないと思います。ルール化の際は新規記事だけでなく、既存の記事に速報的な記述を付け加える事も削除の対象すべきだと思います。--Kurayamizaka 2005年3月22日 (火) 12:34 (UTC)返信
  • 賛成します。まず、起こった時点あるいはそれ以降数週間が経過した程度の段階では、百科事典に記載すべき価値がある記事かどうかの判断が非常に難しいかと思います。もし速報で建てられた事件が後々忘れ去られると、メンテナンスされずに放置されるでしょう(スマトラ島沖地震も時事報道的な記述がなされたまま放置されている感がありますし)。加えて、起こった時点での正確な情報把握の難しさも挙げておきたいと思います。Miketsukunibitoさん、Aboshiさん、Kurayamizakaさんの意見にも強く同意します。--อนันต์ (あなん) 2005年3月23日 (水) 17:56 (UTC)返信
  • (賛成)しるふぃさんの提案に概ね賛成します。ただし記事を作らない、作られたら削除というのではまた作られるだけで方針としては弱いと思いますので、プロセスのどこか(作られたら即刻か、2度目や3度目以降かは決めかねますが)に白紙化保護もしくは最低限の情報が書かれた状態にして保護するのがいいと思います。
    内容に間違いや重大な錯誤を含む可能性が高いというのももちろんですが、最終的な内容には寄与しない編集が通常以上に積み重なる虞が大きい事、合わせて編集競合及び編集合戦、トラフィックのいたずらな増加をさらに引き起こし、現状皆さんも感じているサーバーのレスポンス低下にも繋がる可能性がある方に私は懸念を持ちます。
    物事(今回ならば事態、事件、突発的な事象等)を客観視して記述する事がウィキペディアに求められるのであれば、事態がある程度でも把握できた時点で(あるいは収束した時点で)記事を作るなり執筆・加筆すればいいはずで、ニュース速報的な記事及び記事の編集(何か動きがあったら随時加筆するなど)はウィキペディアにはそれほど求められていないと感じます。本当ならばそこでウィキニュース日本語版を勧めるのが妥当なのですが、まだ作られていない以上これは仕方がないですね。Tekune 2005年3月25日 (金) 16:02 (UTC)返信
  • (反対)なんか、反対というと強い言い方なのですが、そういう意味でなくて、そこまで考えずともよかろうという意味です。たとえばTemplate:現在進行を貼るなどで、十分に読者の注意を喚起することはできると思います。それより、記事が刻々と書き換えられて履歴を増やしていくことが、そういった事件の中にあって、十分でない報道下で、ウィキペディアンを含む私たち大衆一般がどのようにそういったものを聞き、感じ、対処したのかというよい記録になるように思います。-- [Café] [Album] 2005年3月31日 (木) 06:44 (UTC)返信
  • (賛成) 我々の目的を百科事典からそらしてはなりません。百科事典は大衆一般の考えを並べたものではなく、人類の知識の最高の部分をコンパクトに要約したものです。そうした要約は、新聞やテレビに即日反応してできるものではなく、専門書を読み、資料にあたり、時間をかけて作るものです。もし速報に熱心になっている人がいたら、いったん控えて調査や研究の進展を待つように、と忠告するのが親切というものです。ウィキペディアの履歴に価値があるという意見については、これもまた逸脱した目的だと指摘したく思います。そういう類のものが欲しい人は2ちゃんねるのログをあたれば良いでしょう。具体的な対策としては、Tekuneさんの案が良いと思います。作成・削除がもぐら叩き状態になるのを防ぐことができますし、こうしたものの削除の判断はとても難しいでしょうから。Kinori 2005年3月31日 (木) 08:06 (UTC)返信
  • (反対)百科事典の項目にふさわしくない事象を扱うなら保護、削除を行うのは当然だと思いますが、そうでない項目(地震など)で、「X日後にその項目について執筆する」と規定するのは「Wiki」のスタイルではないと思います。そういう項目は不正確なのが常ですが、そのためにTemplate:現在進行があるのですから。もっと気楽にいきましょうよ。--Ligar 2005年3月31日 (木) 08:28 (UTC)返信
  • (コメント)Ligarさんにお訊ねします。「Wiki」のスタイルとやらは、他者が生命・身体・財産の危機にある状況にあっても、一方的に担保されるものなのですか?私は、そういったリスクはできるかぎり排除するのが、「Wiki」のスタイル以前に人としての道義だと考えます。正直なところ感覚の相違に愕然としております。なお、もし本件が反対のまま終了するのでしたら、私はウィキから去ります。執筆者の一人として、責任が取れません。(後刻加筆 最後の文章について、不穏当な発言でした。お詫びします。ただ、自由にゆだねた後の覚悟はあるのか?という問いを突きつけさせてもらっているという趣旨はご理解願います)Aboshi 2005年4月2日 (土) 09:58 (UTC)返信
    • (加筆に対するコメント)ウィキペディアは"the free encyclopedia"です。このFreeの意味は無料というより自由という意味です。この概念を基本としたので、Wikiというシステムは大きくなったといえると思います。法的リスクを避けることは重要ですが、そのほかのリスクのために自由を犠牲にすることは発想としてありえません。誤報の可能性は1週間後であろうが1ヵ月後であろうが、信頼性の低い情報を記述されればいつだって起こりえます。削除の方針、および即時削除の方針に、「内容が誤っている場合」は該当しません。正しいものに書き換えてくださいとなっています。それがこの百科事典のスタンスだと私は理解しています。ウィキペディアが大きくなり影響力を持とうが、ニュースサイトではないのですから、ウィキペディアの情報が元で風評が広がる可能性はTV,雑誌のそれよりも明らかに低いでしょう。(独自取材、独自理論の掲載を禁止していますから。)読者は馬鹿ではありません。この百科事典の情報は2次情報だとわかっています。地震が起こって情報を知りたいとき、私なら百科事典はひらきませんよ。テレビかラジオをつけます。--Ligar 2005年4月2日 (土) 18:48 (UTC)返信
    • (コメント)私の意見はAboshiさんと同じなのですが、去る去らぬの話にすると冷静な検討ができなくなるかもしれませんので、その部分はおいてください。ところで、この件も井戸端で話すには長くなりましたので、新しいページを設けた方がいいと思うのですが、どうでしょうか。Kinori 2005年4月2日 (土) 10:11 (UTC)返信
  • (コメント)他者が生命・身体・財産の危機にある状況においてその百科事典の項目を編集することが道義的に問題だとおっしゃるのは心情的によく分かります。しかし、例えばスマトラ島沖地震による影響は甚大で、いまだ被災者の生活は危機にさらされているわけです。さて、Aboshiさんの意見にしたがうのなら、我々は、いつスマトラ島沖地震についての項目を立てればよいのでしょうか。すべての影響が去る30年後ぐらいでしょうか?ウィキペディアはニュースサイトではありませんが、歴史を記録することと道義問題とは切り離して考えるべきでしょう。--Ligar 2005年4月2日 (土) 10:36 (UTC)返信
    • (コメント)まず、30年後に記事を建てるという非現実的な方針を建てることに関してはLigarさんと同じ意見です。ただ、正確な情報が入るまで、あるいは記事として成立できる規模の事件(ここでは地震のことですね)であるか判断できる段階になるまでのある程度のインターバルが必要であると私は考えます。地震発生直後には不正確な情報が出回り、ウィキペディアに掲載することでパニックを引き起こすというすでに指摘されたデメリットもありますが、ウィキペディアが(一時的では有りますが)事実に基づかない記載をする可能性もあるという百科事典的には望ましくないデメリットもあり、「速報的」な記事立てはある程度規制をかけるべきだと思います。--อนันต์ (あなん) 2005年4月2日 (土) 16:41 (UTC)返信
  • (賛成)コメントばかりで、票を投じていなかったのですが、賛成票を投じさせて頂きます。私もAboshiさんと同じ、先に人道有りです。Wikiが誤報の場になるのは耐えられません。小さな誤報が大きなパニックというのは震災の常です。記事を立てるのは初期の報道一巡する1週間程度後が良いと思います。長くなりましたね・・まだ論戦が続きそうなので新しいページの方が良いかも知れませんね。Miketsukunibito 2005年4月2日 (土) 10:43 (UTC)返信
  • (コメント:私案の方向性には反対)話がどうも本質からそれているように見えるのですが。たとえ何らかの事件に関連する記事が速報的に書かれたとしても、それが正確でありまた内容が百科事典的であればそれは別にかまわないわけですよね? 確かに速報記事は正確性やテーマに問題があることが多いですが、執筆不可期間を設けることは「速く書かれる」ことの一点のみで記事を判断してしまうわけで、思考停止だと言われても仕方ないのではないでしょうか。問題の本質は「記事が速く書かれること」ではないのですから、それを理由に記事を制限するのではなく、もっと正攻法で、信憑性、正確性を欠いた記事がそれこそ人道的に問題となる場合に対処可能な案を検討することだと思いますがいかがでしょうか。--Y tambe 2005年4月2日 (土) 11:09 (UTC)返信
  • (賛成)この件で重要なのは、情報の正確性もそうなのですが、その誤報などにより(時には正確な情報でも)パニックを引き起こしかねないことです。災害などが起こった場合には限られた断片的な情報が頼りであり、その情報に誤りがあったり不安を煽ったりする要素があることは許容できないと考えます。これが先に皆さんが仰っている人道というものだと思うのですが。よってページ作成タイミングも、ある程度現地での情報隔離が解消され、被災者にもパニックやデマの流布の恐れがなくなるであろう1週間程度後かと思いますが、それはケースバイケースでしょうね。--Gabriele 2005年4月3日 (日) 04:05 (UTC)(署名追加)返信
  • (コメント)自由な百科事典について一言。freedomの訳語として自由という語をあてた真意は「自らをもって由とする」、自分自身のことは自分自身の責任で物事を決めるということです。freeな辞典とは好き勝手に編集していいということではなく、自らの責任に於いて編集を行うということです。aboshiさんのおっしゃるようにwikipediaでは誤報にたいして責任をとることが出来ません。「責任のもてない事はやらない」というのが大人のやりかたです。自由の意味を履き違える人が多い現状ではルールを造って規制するのもしかたのないことだと思います。Kurayamizaka 2005年4月3日 (日) 05:32 (UTC)返信
  • (反対よりコメント、ただし条件次第で賛成)記事の正確性を問わず、人道的な観点から記事の執筆に制約を求める事は反対します。あくまでも百科事典として記事の正確性・客観性が維持できるかどうかの見地からのみ論じるべきです。人道的な観点を記事執筆の際に配慮するのはPOVに問題があると思います。ただし人道的な観点を含めないのであれば、Tekuneさんの案のようにいったん保護を行って、必要に応じてノートで議論する形が妥当であると思います。Kamakura 2005年4月3日 (日) 10:39 (UTC)返信
    • (補足)記事をどう解釈するか、真偽を判断するかについてはそれこそ「記事を見た人の自由」に委ねられる問題であり、執筆者の自粛などによって解決してはいけない物だと思います。執筆者・利用者はWikipediaを自由に利用できる反面、「自者・他者の生命・財産を意図せずとも危険にさらしてしまう」可能性を理解し、覚悟しなくてはなりません。Kamakura 2005年4月3日 (日) 10:39 (UTC)返信
  • (コメント)いろいろと難しい問題だとは思うのですが、ルール化されたとして、実効性はどうなのでしょう? 良心的な(?)執筆者はルールだからと執筆を避け、そうでない執筆者は書き込む、というような事態がまず想定され、次に白紙化・保護、というようなことになるのかな? それだったら、ルールがなくても同じじゃないか....。それならば、ルールとして、そのような事態において、管理者が白紙化・保護しやすいルールを作った方がいいのか.... [Café] [Album] 2005年4月3日 (日) 16:23 (UTC)返信

とりあえず、Kinoriさんのご提案通り場所を移しましょう。少なくとも私はここで長文の意見を書くのは気が引けます。懐かしの井戸端分室が良いかと思いましたが廃止されているようなのでwikipedia:井戸端/ニュースの扱いについてで。なお、(賛成/反対)等を付しておられる方が見受けられますが、投票ではありませんし、コンセンサスの確認という意味でも賛否が分かれているのは明らかですのでやはり不要と思われます。今まず行わなければならないことは賛否双方の主張を互いに理解し、誤解を解消し、妥協点を模索し、適切と両者がある程度納得できるルールの策定のため話し合うことだと思います。場所を移したあと議論に参加される方はその点を考慮して発言していただけるとありがたいです。tanuki_Z 2005年4月4日 (月) 02:35 (UTC)返信

以上は井戸端よりログ化したものです。--Lem 2005年4月9日 (土) 10:36 (UTC)返信

  • (賛成)なんか話が止まってるみたいなんで、改めて。ルールづくりに賛成します。たとえ速報的であろうとも百科事典的に有意義な記事が執筆されるのならばそれは止める必要はないと思いますが、現実問題それが可能になるのは「未来を見通せるひと」だけだろうと思います。記者なんかも、一番乗りで報じたいと思うがあまりトバし記事を書いてしまうなんてのはよくある話ですし、事件直後は報道を総合しようが現場で取材をしようが俯瞰的情報なんかどこにもありません。
「禁じる」とか言っても禁を破るひとは絶対にいますから、(1) ガイドラインとして「一定期間は記事を立てない」というのを設ける、(2) そのガイドラインに基づき管理者が白紙化や保護を発動しやすくする、というあたりが現実的なおとしどころかと。先を争って速報きじを書いてもそれは評価されない、という状況が続けば、徐々に速報に熱意を燃やす方もそれが間違いであるということに気づいてくれるんじゃないかと期待します。Nekosuki600 2005年7月11日 (月) 06:42 (UTC)返信
Wikipedia:井戸端/ニュースの扱いについて(ここはそのノートページです)で話は継続しているようです。--Lem 2005年7月11日 (月) 07:03 (UTC)返信
あ、失礼しました。Nekosuki600 2005年7月11日 (月) 07:29 (UTC)返信
プロジェクトページ「井戸端/subj/ニュースの扱いについて」に戻る。