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稲垣進一(2011)『新装図説浮世絵入門』からの剽窃部分を除く。
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'''上方絵'''(かみがたえ)は、[[江戸時代]]から[[明治時代]]に描かれた[[浮世絵]]の様式のひとつである。主に京阪地方で製作された浮世絵版画を指す。
== 概要 ==
[[江戸]]の浮世絵に対して、[[上方]]つまり[[京都]]や[[大坂]]で作られた浮世絵を指す。作品の大半は[[役者絵]]で、{{要検証範囲|江戸のものとは異な独特の似顔絵表現を持つ|date=2020年7月}}{{sfn|福田|2019|pages=22-23}}。
 
[[元禄]]期の京都では、[[西川祐信]]が[[肉筆浮世絵]]の[[美人画]]や[[絵本]]作画で活躍した。
 
しばらく時代が下り[[寛政]]4–5年([[1792年]]–[[1793年]])頃になると、{{Visible anchor|[[流光斎如圭]]| 流光斎}}によって勝川風を取入れた多色摺りのものが描かれる{{sfn|稲垣|2011|p=143}}。また大坂おいて寛政ころに{{疑問点範囲|[[葛飾北斎]]、[[歌川豊浅山芦国]]が現れ、[[歌川国貞#流光斎]]、[[歌川国芳]]ら派とは別流れを汲む上方在住一派の絵師たち多数登場し、役者絵を描いて活躍している|date=2020年7月}}北斎の門人では[[葛飾北広]]豊国の門人では[[滝川国広]]、国貞の門人では[[歌川貞升]]、[[長谷川貞信]]、国芳門人系統{{sfn|濱生|2005| pages=58-63}}{{sfn|原山|2016|pages=47-65}}のみ現代まは[[歌川芳梅]]受け継挙げら、さらにこの芳梅の門人とし明治期に活躍した[[野村芳圀]]などがいる{{要出典|date=2020年7月}}
 
また、大坂においては寛政ころに{{疑問点範囲|[[浅山芦国]]が現れ、[[#流光斎]]派とは別の一派の絵師が役者絵を描いて活躍している|date=2020年7月}}。
 
なお、長谷川貞信の系統{{sfn|濱生|2005| pages=58-63}}{{sfn|原山|2016|pages=47-65}}のみ現代まで受け継がれている。
 
=== 合羽摺 ===
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* {{cite journal|和書|author=矢崎いづみ|co-authors=宮崎紀郎、玉垣庸一、桐谷佳惠、小原康裕|title=合羽摺の技術・表現方法の応用に関する研究|journal=日本デザイン学会研究発表大会概要集|publisher=[[日本デザイン学会]]|date=2006年|volume=53|ref={{sfnref|矢崎ほか|2006}}|page=229|doi=10.11247/jssd.53.0.229.0}}
* {{cite book|和書|author=[[吉田漱]] |title=浮世絵の基礎知識|publisher= 雄山閣|date=1987年|ref={{sfnref|吉田|1987}}|page={{要ページ番号|date=2020年6月}}}}
*{{cite book|和書|author=[[稲垣進一]]|title=図説浮世絵入門|date=1990|ref={{sfnref|稲垣|1990}}}}
**{{cite book|和書|author=[[稲垣進一]]|title=新装図説浮世絵入門|publisher=[[河出書房新社]]|date=2011|ref={{sfnref|稲垣|2011}}}}
 
 
== 脚注 ==