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10月、[[豊後国]]の碩田(おおきた、[[大分県]][[大分市]])に進むと[[速津媛]]という女酋が現れた。速津媛によると天皇に従う意思がない[[土蜘蛛]]がいて青、白、打猿、八田という。そこで進軍をやめて來田見邑に留まり群臣と土蜘蛛を討つ計画を立てた。まず特に勇猛な兵士を選んで椿の木槌を与え、石室の青と白を稲葉の川上に追い立てて賊軍を壊滅させた。椿の槌をつくった所を海石榴市(つばきち)といい、血が大量に流れた所を血田という。続いて打猿を討とうとしたところ、禰疑山(ねぎやま)で散々に射かけられてしまった。一旦退却して川のほとりで占いをし、兵を整えると再び進軍。八田を禰疑野(ねぎの)で破った。これを見た打猿は勝つ見込みがないと思い降服したが、天皇は許さず誅殺した。
 
11月、日向国に入り行宮(かりみや)を設けた。これを高屋宮という。12月、襲国にいるという[[クマソタケル|厚鹿文]](熊襲梟帥、くまそたける)<ref>{{cite web|title= 厚鹿文|url= https://kotobank.jp/word/厚鹿文-1050176|website=コトバンク|accessdate=2022-02-03}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/熊曾建 |title=熊曾建 |publisher=[[コトバンク]] |author=朝日日本歴史人物事典 |accessdate=2019-04-23}}</ref>を討つ計画を立てた<ref>{{cite book|title= 国史大系. 第1巻 日本書紀|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/76|publisher= 経済雑誌社|page=137}}(国立国会図書館)</ref>。熊襲梟帥は強大で戦えばただでは済まないことがわかっていた。そこで熊襲梟帥の娘である[[市乾鹿文]](いちふかや)と市鹿文(いちかや)の姉妹に贈り物をして妃にし、熊襲の拠点を聞きだした上で奇襲することになった。姉妹は策に嵌まり、姉の市乾鹿文は特に寵愛された。あるとき市乾鹿文は兵を一、二人連れて熊襲梟帥のところに戻った。そして父に酒を飲ませて泥酔させ兵に殺させた。そこまでは考えていなかった天皇は市乾鹿文の親不孝を咎めて誅殺し、妹は[[火国|火国造]]に送り飛ばしてしまった。
 
翌年夏に熊襲平定は完了し、その地の美人の[[御刀媛]]を妃として[[豊国別皇子]]を得た。日向国造の祖である。高屋宮に留まること六年経った即位17年、子湯県の丹裳小野で朝日を見てこの国を「日向」と名付けた。そして野原の岩の上に立ち、都を思って思邦歌(くにしびのうた)を詠んだ。