小堀 正行(こぼり まさゆき)は、江戸時代初期の旗本小堀政一(遠州)の同腹の弟。

 
小堀正行
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正11年(1583年
死没 元和元年8月14日1615年10月6日
別名 次左衛門、宗虎(法名)
墓所 大徳寺碧玉庵
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家康秀忠
氏族 小堀氏
父母 父:小堀正次、母:磯野員昌
兄弟 政一正行、正長、正春、宗栄、
伊東掃部室、田中治兵衛室
正十、小倉政守、政代、勘兵衛、快応
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略歴

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小堀正次(まさつぐ)と正妻である磯野員昌の娘の次男として誕生。父・正次と共に召されて家康に仕える。関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600年)12月、父・正次が1万石加増された際に召されて小姓組に列し、備中国後月郡に1,000石の采地を与えられた。慶長9年(1604年)正次の急死により、遺領のうち大和国葛上郡の2,000石を分知されて都合3,000石の知行で寄合となる。大坂冬の陣政一(小堀遠州)と共に出陣し、松倉重政に属して大和勢に加わる。元和元年(1615年)に兄・政一の京都邸にて没する。

子・正十(まさとお)が遺領と旗本小堀家を継いだ。兄である政一(小堀遠州)から茶道の奥義を伝えられ、正行の末裔が現在小堀遠州流の家元となっている。