ペートラーチャー
ペートラーチャー王(1632年 - 1703年2月)はタイのアユタヤ王朝の王の一人。現・スパンブリー県のバーンプルールワンに生まれた。ナーラーイ王の下では象隊長を任命され軍事面で重宝された。ナーラーイ王が病床に伏したとき、息子のチャオプラヤー・コーサーパーンに王位に就くことを頼まれ、ギリシャ人の高官チャオプラヤー・ウィッチャイェーン(フォールコン)を殺し王位に就いた。アユタヤー王家の血が流れていないことで、反乱勢力が大きく、即位中のほとんどは反乱勢力の討伐に明け暮れていたという。
ペートラーチャー王 สมเด็จพระเพทราชา | |
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在位 | 1688年7月11日 - 1703年2月 |
全名 | ペートラーチャー王 |
別名 |
マハーブルット王 (สมเด็จพระมหาบุรุษ) |
王朝 | アユタヤ王朝31代目 |
家系 | バーンプルールワン家 |
出生 |
1632年 アユタヤ朝、スパンブリー県 |
死亡 |
1703年2月 アユタヤ朝、アユタヤ市 |
外交政策としてはナーラーイ王時代のフランスの侵略外交が祟り、鎖国を推進した。