山家昌治
山家 昌治(やまべ まさはる)は、戦国時代の武将。信濃小笠原氏、甲斐武田氏の家臣。信濃国山家城主。当初は折野氏で、後に山家氏に改めた。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 折野昌治→山家昌治→近松斎(法名) |
官位 | 薩摩守 |
主君 | 小笠原長時→武田信玄→勝頼 |
氏族 | 折野氏→山家氏 |
折野氏は信濃守護職小笠原氏の支流。山家氏は元々は諏訪氏の流れを汲む一族であったが、文明12年(1481年)に小笠原長朝に攻められ没落した。
山家城跡にある案内板によると、昌治は永正2年(1505年)頃に播磨国から来訪し入城したとされる。その後、山家氏に改姓した昌治は当初は小笠原長時に従っていたが、天文19年(1550年)、武田信玄の信濃府中(現 長野県松本市)侵攻の際、寝返り武田氏に従属した。
以降は信玄・勝頼の2代に仕えた。
参照
編集- 山家城跡案内板(長野県松本市大字入山辺8318番地、長野県教育委員会・松本市教育委員会、2006年(平成18年)3月)