茂木惣兵衛 (3代目)
大正期の実業家
3代目茂木 惣兵衛(3だいめ もぎ そうべえ、1893年3月24日 - 1935年4月16日)は、大正期の実業家。初代茂木惣兵衛から続く横浜の生糸商社・茂木合名の3代目。幼名は良太郎。
経歴
編集両親は初代茂木惣兵衛と横浜の芸者・おちょうとの娘と、その婿養子[1]である2代目茂木保平。麻布中学卒業後、第八高等学校 に入学したが、1912年に、初代惣兵衛の甥である2代目惣兵衛と父親が相次いで死去したため1年で中退し、19歳で茂木合名を継いで惣兵衛を名乗る。実務は古参社員で義兄弟でもある長与程三(長與專齋次男)が補佐した。第1次世界大戦の好景気に乗じて原富太郎と結んで帝国蚕糸を設立、初代ゆかりの第七十四銀行事業の多角化に乗り出した他、井上準之助をはじめとして政財界の要人と結び、「茂木財閥」「茂木王国」と称された。祖母のおちょう、未亡人となった母との3人暮らしだったが、使用人を数十人と抱え、その生活ぶりは贅沢を極めた[1]。だが、戦後不況の煽りを受けて1920年5月に茂木合名が破産、第七十四銀行などの関連企業も連鎖倒産した。その整理が一段落つくと、1923年に再起を期してイギリスに留学、ロンドン大学でハロルド・ラスキの教えを受け、実業家も社会運動に関心が必要だという考えを抱く、1935年に帰国して再起を図ろうとするが、その矢先に病に倒れ、42歳で死去した。
脚注
編集外部リンク
編集- 哀れ茂木惣兵衞『明治大正実話全集. 第5巻』(平凡社、1930)