工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手[1]早稲田大学卒業。

人物

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予科練から戻ってからスケートを始めた。1948年の国民体育大会では1500mで2位となった[2]岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した[1]

現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた[1]

盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている[2]

2012年4月17日、腎不全のために岩手県盛岡市の病院にて逝去[1]。84歳没。

賞詞

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脚註

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  1. ^ a b c d e 工藤祐信氏が死去 84歳、52年の冬季五輪出場”. 岩手日報 (2012年4月19日). 2012年4月19日閲覧。
  2. ^ a b 「風土計」”. 岩手日報 (2012年4月21日). 2012年5月9日閲覧。

外部リンク

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