赤沢 仁兵衛(あかざわ にへい、天保8年10月10日1837年11月7日) - 大正9年(1920年3月6日)は、赤沢式栽培法の開発で知られる農業技術者。「川越の甘藷先生」とも呼ばれる。サツマイモはどのような条件下でもある程度はできる作物なので、栽培法を研究した人物はいなかったが、仁兵衛は徹底的に栽培方法を研究し、農村に増収をもたらした。赤沢式栽培法は今日でも基本的に継承されており、小学校道徳教育の時間に用いられる教科書でも取り上げられることが多い。

略歴 編集

  • 1837年天保8年)、武蔵国入間郡今福村(現埼玉県川越市)に赤沢又助の三男として生まれる。
  • 1865年慶応元年)、分家の赤沢家の婿養子となる。困窮していた赤沢家を救うため、換金性のよい商品作物であったサツマイモの増収栽培の研究に没頭する。明治の初めには、育苗法、高うね栽培法、堆肥と米ぬか灰を使った施肥法を確立。従来の数倍の増収が可能となった。
  • 1910年明治43年)、「赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法」を出版。以降、版を重ねた。また講習会によって各地に広めた。
  • 1920年大正9年)、没する。享年84。

長男の久松もサツマイモの栽培方法の研究を重ねた。赤沢式栽培法(増収法)は世界的にも当時の栽培技術の最高峰で、今日でもなお通用するものが多く、川越名物「芋掘り観光」が川越今福で隆盛を迎えることにもなった。

著書 編集

  • 「赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法」は『明治農書全集』(農山漁村文化協会刊)の第4巻に収められている。