庄司榮吉(しょうじ えいきち、1917年3月20日 - 2015年2月7日)は、日本の洋画家日本藝術院会員。位階従四位

大阪府出身。1936年に赤松麟作に師事。1938年に大阪外国語学校フランス語科を卒業後、旧制東京美術学校(現東京芸術大学)入学、寺内萬治郎に師事。新文展「庭にて」初入選。1942年光風会展「F嬢の像」初入選・レートン賞、美校繰上げ卒業、1943年海軍派遣教員としてインドネシアセレベスに赴任。1946年帰国、1952年日展「K牧師の像」で特選・朝倉賞、1967年新日展「音楽家」で菊華賞、1970年日展審査員、1981年光風会展「舞踊家とギタリスト」辻永記念賞、1982年光風会理事、1987年日展「音楽家たち」で文部大臣賞、1998年勲四等瑞宝章[1]、2000年日展出品作品「聴音」恩賜賞日本芸術院賞、2000年日本芸術院会員、日展参事、光風会理事長。

2015年2月7日、肺炎のため死去[2]。97歳没。叙従四位旭日中綬章追贈[3]

『庄司栄吉画集』(「庄司栄吉画集」刊行会 2008)がある。

脚注

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  1. ^ 「秋の叙勲 晴れの受章者 勲四等-勲七等(都内分)」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  2. ^ 洋画家の庄司栄吉さん死去 朝日新聞 2015年2月9日
  3. ^ 2015年3月15日官報

外部リンク

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