利公(りこう)あるいは厲公(れいこう)[1]は、春秋時代の陳の君主(在位前706年8月 - 前700年8月)。姓は嬀、名は躍。
陳の桓公と蔡の公女のあいだの子として生まれた。
紀元前707年1月、叔父の公子他が太子免を殺害して自ら太子となった。桓公が死去すると、陳公他が即位した。
紀元前706年8月、太子免の弟である躍・林・杵臼が蔡の人を使って陳公他を殺害した。躍が陳公として即位した。
紀元前700年8月壬申、利公は死去した。弟の林(荘公)が陳公として即位した。
- ^ 『史記』陳杞世家では躍が利公、佗が厲公とされている。『春秋』および『春秋左氏伝』では躍が厲公であり、陳佗(五父)には諡号が与えられていない。『史記索隠』陳杞世家所引譙周や『史記会注考証』陳杞世家所引梁玉縄が指摘するように、厲公・利公をめぐる『史記』の記述には誤りが多いとみなされている。