中沢護人
中沢 護人(なかざわ もりと、1916年7月27日 - 2000年2月22日)は、日本の科学技術史家。
山梨県出身。1939年、東京帝国大学を卒業し、日本製鐵に入社。1942年以後、横浜事件に連座し、戦後退社。1955年から東京大学生産技術研究所に技官として勤務。ドイツの技術史家ルートヴィヒ・ベック(Ludwig Beck) の『鉄の歴史』を日本語に翻訳し、1979年の日本翻訳文化賞受賞[1]。幼いころに受洗したキリスト教徒であり、中国派のマルクス主義者[2]。
長兄はNHK職員、次兄の中沢厚は中沢新一の父、妹は網野善彦の妻[2]。中沢家は山梨の豪商で、父親は生物学者[2][3]。
著書
編集共著
編集翻訳
編集- ルードウィヒ・ベック『鉄の歴史』(原典全5巻を16分冊に翻訳) たたら書房、1968-81
記念文集
編集- 『鉄の歴史家中澤護人 遺したこと・遺されたこと』中澤護人記念出版を進める会 2003
脚注
編集外部リンク
編集- 中沢護人『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 - コトバンク
- 水底の翳-中沢護人